夫婦

今夜は久しぶりに近くに住むばあちゃんの家に来て、ふたりでおでん食って熱燗飲みました。じいちゃんが最近死んじゃって、今はひとり大きな家に住むばあちゃん。生きてる時はそれは仲が悪くって喧嘩が日常みたいなふたりだったのに、葬式でも気丈に振る舞っていたのに、この家にひとりで居るばあちゃんのあまりの不自然さに、何十年も一緒に生きた夫婦の、仲の良さとかそんなもんじゃ計れないお互いの必然さを感じました。
その必然を失ったばあちゃんが悲しみに狂わない理由は、存在がいなくなっても尚じいちゃんと一緒に生きているからだと思います。どこにいても何をしていてもばあちゃんの隣には自然とじいちゃんが存在しているのです。一緒に熱燗を飲んでいるときばあちゃんがあまりにも自然に、必然のように仏壇の湯呑みにお酌をしているのを見た瞬間、あぁこれが夫婦なのか。となんだか嬉しくて泣きそうになりました。
今、隣で口を開けて、いびきかいて寝ているばあちゃんが愛しくて愛しくてたまらない。私の幼い頃の思い出や、ばあちゃんとじいちゃんの生活が、空気のように隅々まで存在するこの家で、私はで久しぶりに静かに眠るところです。おやすみなさい。